目次
まえがき(森孝一)
I 世界で何が起こっているか
第1章 ムスリム社会における世俗主義の不寛容——トルコのスカーフ問題から考える(澤江史子)
第2章 ヨーロッパの統合とイスラーム——境界領域としてのトルコが直面する諸課題(内藤正典)
第3章 イスラームと西欧近代科学とは共存可能か——進化論を中心として(三浦伸夫)
第4章 「テロリスト」の来歴——インドネシアにおける武装闘争派の思想と行動(見市建)
第5章 フランス共和国を棄てるユダヤ人たち——フランス発、新しい「アリヤー」の動向(菅野賢治)
第6章 アメリカの原理主義における聖書理解——「聖書の無謬性」という主張(越後屋朗)
第7章 アパルトヘイト廃止後の南アフリカと宗教的原理主義——多元主義的国家における真正性の欲求(デイビッド・チデスター)
II 各宗教に見る共存の可能性
第8章 イスラームの理性主義と他者との共存——思想史の課題を考える(塩尻和子)
第9章 イスラームにおける共存を妨げるもの——カリフ制、「イスラームの家」の再興による共存の実現を目指して(中田考)
第10章 ハンチントンの『文明の衝突』を読む——ユダヤ学と文明論の間で考える「共存」を妨げるもの(手島勲矢)
第11章 生命、生態学、神学——神・人・宇宙的タオのエキュメニズムに向けて(キム・ヒョップヤン)
III 他宗教との共存に向けて
第12章 二十一世紀のイスラームとキリスト教——対立か共存か(ジョン・L・エスポズィート)
第13章 「キリスト教世界」において何が共存を妨げてきたのか——「宗教の神学」の現状と課題(小原克博)
第14章 現代世界における文化的共生と宗教の役割——イスラームの視点から(オスマン・バカル)
あとがき(森孝一)
索引
前書きなど
まえがき(一部抜粋:森孝一)
中東生まれの三つの一神教であるユダヤ教、キリスト教、イスラームは、親子あるいは兄弟の関係にある。ユダヤ教からキリスト教が生まれ、ユダヤ教とキリスト教からイスラームが誕生した。本来、彼らは同じ神を信じているのであり、「アラブ人のキリスト教徒」(その存在すら、日本では十分に認識されてはいない)が読むアラビア語訳の聖書では、「神」は「アッラーフ」(アラー)である。
しかし近年、この三つの一神教とその世界は厳しく対立と抗争を繰り返し、世界の安全と平和を脅かしている。アメリカに対する同時多発的攻撃であった「9・11」の主要な要因は、「パレスチナ・イスラエル問題」において、アメリカが一貫してイスラエルを支持してきたことであった。パレスチナ・イスラエル紛争では「9・11」と同様に、あるいはそれを上回る規模で、何千人、何万人という一般市民が犠牲となってきた。「9・11」への報復、あるいは第二の「9・11」を防止するための予防戦争であるとされてきたイラク戦争においても、一〇万人近い一般市民が命を落としている。本書が出版される直前の二〇〇八年一一月には、インドのムンバイにおいて大規模なイスラーム過激派によるテロが起こっている。一神教とその世界の対立・抗争は、ますますその深刻さを増している。
本書を生み出した同志社大学「一神教学際研究センター」が目指しているものは、一神教とその世界が共存していくための総合的な研究である。しかし、多くの宗教間対話会議に見られるような、対話できる者だけが集まって、「仲良くしていきましょう」と話し合う「サロン的共存」をいくら繰り返しても、本当の共存を実現することは難しい。共存の相手となる他の一神教の宗教理解や信仰的立場を十分に研究し、理解し、それを尊重することがまず重要であろう。そのうえで、自らの宗教のなかの、いったい「何が共存を妨げているのか」について自己省察することが何よりも必要なのではないか。これが本書の刊行の目的である。
今日、一神教とその世界の共存をめぐる緊急の課題は、三つの一神教間の共存の問題だけにとどまらない。もう一つの重要な要素は「反宗教」あるいは「世俗主義」である。本書の第 I 部「世界で何が起こっているか」で紹介されているトルコやEUの事例によって、世俗主義(政教分離)とイスラームの関係が、その地域において多様な立場の人びとが共存していくうえでの重要な課題であることが示されている。本来は多様なものの共存を可能にするためのものであった世俗主義(政教分離)が、特定の宗教を信じる人びとを排除するイデオロギーとして機能しているという問題である。しかも、その現状はけっして楽観を許さない。
第 I 部「世界で何が起こっているか」では、トルコ、EUの他に、インドネシア、フランス、アメリカ、南アフリカにおける一神教において、「何が共存を妨げているのか」についての事例が紹介されている。
第 II部「各宗教に見る共存の可能性」と第III部「他宗教との共存に向けて」は、ユダヤ教、キリスト教、イスラームにそれぞれ深くコミットしている研究者による、各一神教において「共存を妨げているもの」についての分析と、それを踏まえての「共存に向けての考察」である。いわば、三つの一神教の「内側」からの思想的・神学的考察と言えるだろう。
三つの一神教を地域研究、人類学研究、社会学研究、宗教学研究としてではなく、「思想的・神学的」に研究するとは、どういうことなのか。研究方法として、どこに違いがあるのか。私はそれを「研究対象との距離」の違いとして捉えている。この場合、研究対象とはユダヤ教、キリスト教、イスラームという、それぞれの一神教である。
この研究対象を冷たく、突き放して、自分の実存とは関係のないものとして分析するのではなく、その宗教に実存的にコミットする一人の信仰者として、同時に一人の研究者として、研究対象としてのそれぞれの一神教を研究する。これが神学であると考えている。分析に用いる方法論とその運用における客観性は、神学と宗教学のあいだに違いはない。違いは研究対象との距離だけである。同時に、あまりにも研究対象との距離が近すぎる、いわゆる「護教的研究」は本書のめざすところではない。
(…後略…)